こんにちは。ぺこりんです。
今朝眺めていたら、こんな投稿が。
子どもの「したくない」に対して、どうして大人は過剰に反応するのでしょうか。
「したい」にはわりと喜ぶくせに。
これは、ひとえに、
子供の頃、「したくない」と言えなかったから
でしょう。
少なくとも、私はそうです。
いじめられて学校行きたくないときも、
大嫌いなトマトを出されたときも、
言えなかった。
なんで?
おかあさんに 怒られるから。
そもそも聞いてももらえないから。
「そんなこと言うもんじゃない」って。
私の気持ちはどないなるねん。
ちなみに我が家は、「したい」に対しても、それが母の意向に沿わないときは、「そんなこと言うもんじゃない」対応でした。
私の気持ちはどないなるねん。(2回目)
「言えない」の連鎖を断ち切りたい
憶測ですが、戦中あたりから、「自分を抑えてみんなのために」という風潮があって、それが悪い形で残っているのではないかと思っています。
それで戦後の復興を果たしましたからね、強烈な成功体験だと思うのですよ。
しかしそれが、無垢な子どもの気持ちをときに抑圧してしまう。
子どもは別に、あなたを否定したいわけじゃないんです。
ただ、己の気持ちを吐露しているだけなんです。
人格否定のように捉えてしまうのは、何かしらの「べき」「ねば」が根底にある気がしてなりません。
例えば、「親の言うことは聞くべき」とかね。
もっとニュートラルに、まずは「そうか、したくないのか」って受け止められたらいですね。
そのうえで、理由を聞いたり、一緒にどうするか考えたりしていけば良いのではないでしょうか。
かつて、自分がしたかったように。
そして、大人だって、嫌なものは嫌、と言っていいんです。
そうしたら、あなたのインナーチャイルドが「おお、言った…」と、驚きつつ、でも喜ぶのでは。
子供の頃の気持ちの消化不良に寄り添うカウンセリング、やってます。
國枝 弓
最新記事 by 國枝 弓 (全て見る)
- 「心配」は美徳…ではない? - 2024年11月3日
- 私のスキなところ、3選 - 2024年10月26日
- 夏休みが明けました - 2024年9月12日