こんにちは。ぺこりんです。
私が物事を考えるきっかけは、X(旧Twitter)から得ることが多いです。
本日は、ここから。
私も、概ね同意です。
…なんて言うと「優しいじゃんいいことじゃん何言ってんだこいつ」
と言う人もいそうですね。
なので、私の考えをもう少し深掘りします。
それは誰の問題なのか
まず考えるべきは、「その問題は誰が向き合うべきものなのか」ということです。
例えば、お子様がすごく忘れ物をする。その度に学校から電話がかかってきてうんざりしている、とします。
忘れ物をしたら困るのは、誰ですか?
忘れ物を減らす行動を取るのは、誰ですか?
…保護者ではないのです。お子様本人です。
「学校から電話が来る」という事象が話をややこしくしますねw
課題は切り分け、一緒に考える
ここで保護者がやることは…
子供を叱り飛ばすことでは、ないですよ。
子供の困りごとを聞くことです。
もしかしたら、すぐ忘れ物をする自分をものすごく責めてるかもしれません。
それでもどうしたらいいかわからなくて困っているかもしれません。
あるいは、「お友達が貸してくれるから困ってない」と言うかも知れません。
これを明らかにして、二人とも知っている事柄にしましょう。
そうしたら、何をすればいいかは、自ずと見えてくると思います。
この場合は、自分を責める子供に共感したり、忘れないための工夫を一緒に考えたり、ですね。
お子様が「やってみる!」と言ったら、その気持ちを尊重して見守りましょう。
どうせなら、正しく「心配」しよう
子供に何か起きると、すぐ
「私のせいだ…」
「私が何とかしなくちゃ」
と思ってしまう人、たくさん見てきました。
私自身もそうでした。
でもね、そんなことないんです。
子供の人生の中で起きていることなのです。
あなたとあなたのお子様は、違う個人なんですから。
冒頭のXの投稿でも言われていましたが、
他人の心配=素晴らしいこと
となるのは、自分にできることとできないこと、やることとやらないことを分けられる場合だけ。
そうでない場合は、必ず誰かが疲弊します。
だって私クタクタでしたから。
「ああ、私もそれでクタクタだわ…」という方、ぜひ少し考えてみるといいと思います。
ひとりじゃ無理ー!というときは、ぜひ無料相談にお越しくださいね。
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國枝 弓
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