こんにちは。ぺこりんです。
先日、友人の家にご飯を食べに行きまして。
春休みだったので、新小5の息子を連れて行ったんですね。
実はちょっとだけ心配をしていました。
私に促されないとなかなか喋りたがらないタイプで、もしかしたら、ご飯食べたらすぐに帰ろうって言い出しやしないかって。
(ここ覚えておいて下さい)
えっ、自分から喋ってる!
お宅にお邪魔した時点では、まだ借りてきた猫状態だった息子ですが、
この数日前に行っていた電車旅の話を向けられたとき、ちょっとだけエンジンがかかりました。
そうして喋り出した乗り鉄の話を、居合わせたみんなが、前のめりに聞いてくれるんです。
息子は早々に「ここなら話して大丈夫」と確信したのでしょう、その旅のことを、自分の言葉で、たくさん話しました。
正直、びっくりしました。
なんやうちの子、大人と話せるんじゃん、と。
さらには、他のお客様のお子さん(年上女子)とゲームのローカル通信やトランプで遊ぶ遊ぶ。
…こんなの見たことない( ゚Д゚)
おかげで私は大人同士の話で大盛り上がりできました。
安心感は、どこから生まれるのか
息子がなぜあんなに饒舌になったのか。
あれだけ喋っても大丈夫、と強く思うことができたのか。
その理由は、
自分に関心を寄せてくれること。
対等に、ひとりの個人として扱ってくれたこと。
このあたりかな、と思っています。
子ども扱いしすぎず、話を奪い取ることなく、最後まで聞いてくれる。
これは、すごく嬉しかったんじゃないかなあ。
家族以外の人と、こんなコミュニケーションを取れたのは、親子ともに、とても良い経験だったなと感じました。
心配していたのは、どうやら私だけだったようです。
それ故に、大人と関わる機会を減らしてしまっていたかも。反省。
息子が外では無口だったのは、周囲から安心感を得られなかったから…かも知れませんね。
みんな話したい、聞いてほしい、でも
小さい頃、「おかあさん、今日ね…」と話かけたら、どんな反応が返ってきたでしょう。
「『今忙しいから』と聞いてもらえなかった」
「話を横取りされるのでうんざり」
「おまえの話はくだらないとあしらわれる」
などなど…
このように、聞いてもらえなかった人、いませんか。
何を隠そう、過去の私も、こんな経験をしていました。
安心感など、まるで、ない。
そして、それをずっと引きずって、
話す価値もないと言葉をつぐんだり、
うっかり話した後に言い知れぬ罪悪感を感じて反省会したり。
そんな方もいらっしゃるのではないでしょうか。
自分の話に価値がない、なんて思い込みは、幻です。
今からでも遅くはないと思っています。
聴くに徹します。安心できる場所になります。
なので、まずはたくさんお話ししていただけたら。
言葉を紡ぐうちに、自分でも思いもよらない気持ちが浮き上がってくることもあります。
その気持ちを丁寧に感じてから、先のことを、一緒に考えていきましょう。
國枝 弓
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