こんにちは。kauhola☆pecoくにえだです。
今日は、私のココロが驚いたお話。
先日、九州に住む母方の伯父が亡くなりました。
祖母と一緒に暮らしていたので、結婚報告で祖母に会いに行って以来。
息子氏が生まれたときには、息子氏より大きい鯛(!)を送ってきてくれた、魚屋さんです。
で、親から連絡を受けて、ホテルの手配を頼まれる(ネット絡みは任されてます(笑))
そして昨日の朝6時、無事に佐世保に着いた父から電話がかかってきました。
以下、その時の会話。
父「お前も何も関わりがなかったわけじゃないんだから…」
私「あ、香典なら昨日書留で出したよ」
父「…んえぇ?」(←ほんとにこう言った)
私「頼もうかとも思ったんだけど、夜だったしバタバタしとったし、私もお伝えしたいことがあったからお手紙つけて出した、速達で」
父「お、おぉ…そうなのか。弔電頼もうかと思ってたんだが、ならいいわな」
その後のひとことに、ちょっと驚いたのです。
「気遣ってくれてありがとうね」
…え?
礼言われた?
お父さん、私のしたこと、ちゃんと評価してくれた…?
私は、ちゃんと父に愛されていた
いやね、ここ、実は衝撃だったのです。
子供の頃の父は、仕事だなんだでほぼ家におらず、怒られたこともなければ褒められた記憶もあまりないという有様で。
故に母はワンオペ育児で、そこに私はすごい怒りを持っていたのですが。
オトン、見ていれば、きちんと評価してくれるんだ。
そうなのか。
…嬉しいじゃんよこのやろうー。
関心がなかったわけじゃなかった。
本当に見えていなかっただけなんだね。
私、気にしてもらえてたんだね。
父に対しての怒りが、拍子抜けするほど、ぼわーっと解き放たれた瞬間でした。
気づくかどうかは、ココロの在り方次第
…と、鼻息荒く綴っておりますが、事象としては大したことではないと思うのです。
ただ、自分の心のありようで、起きる出来事の捉え方がすごく変わるのだなと感じています。
何というか…否定的にならず、卑屈にならず、そのままポンと受け止められる。
…あっ、思考さんがちっこくなったからだ。
(モニターされた方ならわかるかな)
ここまで読んで、「おめでたい人だなあ」と思う方もいるかも知れませんね。
でも、日々おめでたくいられるって、楽でいいですよー。
ありがたいことに、6月のモニター枠は満席になりました。
7月からのカウンセリングの正規価格、もうすぐお知らせしますね。
國枝 弓
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