こんにちは。kauhola☆peco國枝です。
先日の3部作、いろいろな感想を頂いて、とてもありがたく思っております。
今朝も旦那さんが「ジャージャー麵」を「ジャージャー」と「麺」に分けてきて「具材がジャージャーなのか」と物議を醸しております。楽しいです。
画像お借りしました。
Wikipediaで調べたら正解でした。炸醤麺と書いて、「炸醤」が肉味噌だそうです。知ってたのかな…。
すごかったなぁ…と思い返していくうち、もうひとつ、大きな気づきがありました。
どんな私も私。
ひとことでいうと、これです。
中学卒業後から、現在の職に落ち着くまで、女性が極端に少ない環境を選んで生きてきました。
女子特有の群れるのとか噂話とか本音と建前とか本当に苦手で。
そんな中にいたので、「男勝りで豪快な性格」をほぼ自動で形成しました。
今思えば、新卒1年目で先輩に「もう知らない!」とか言っちゃうとんでもない子でした。すいません。
その一方で、だめんずを渡り歩くといういやに「女」な面もあったのですけど。
そこはとても刹那的にとらえていて、普段は全く見ないようにしていました。
そんなもの持っちゃいないよと。
そしてこの「男勝りキャラ」は、結婚しても専業主婦になっても母になっても、いました。
そうでなければならないと思っていました。
前回までの3部作(笑)の③に、さらりと触れています。
「どんなことでも、どんな口調ででも言っていい」とわかると、むしろその方が自然に話せるようになりました。
今までも、「もっと優しくなりたい」だとか、「女性らしくいたい」と思い、かなわなかったことがありました。
それはきっと、「私」をないがしろにして、イメージだけを追ったからなのでしょう。
優しい誰かの真似じゃなく。
女性らしい誰かになるわけでなく。
どんな私も、私なんだと、認めること。
経緯はどうあれ、豪快キャラも私。
でも、いつもそうじゃなくていい。
優しい時も女々しい時もずるい時も冷たい時もあっていい。
ぜんぶ、私。
ようやく、それを認められました。
ダメな自分だってあるのさ
そう、「一般的に」「問題ありそうな」ときもあっていいのです。
こっからはずいぶん感覚的な話になってしまうのですが。
「こんなんじゃダメでしょ」と思う自分を認められて、「それでもいいんだ」と肚落ちすると、その「ダメ」が気にならなくなるんです。
結果、自分を監視しなくなるので、リラックスできて、「ダメ」が出てこなくなるという。
いいことしかねぇ( ´∀`)bグッ!
結局、うちの旦那すごいになってしまう
私の場合は、自分でわかる前に、旦那さんが身体を張って教えてくれました。
何てこった。
今になってものすごく「ぶったたいてごめん」な気持ちになってきた…。
…今晩ジャージャー麵の話とともにするか(笑)