こんにちは。ぺこりんです。
2025年もよろしくお願いいたします。
さて、みなさんは、年末年始はどのように過ごされたのでしょうか。
我が家は、実家の父が入院していたこともあって、やや落ち着きのない年越しとなりました。
時折、母からもそのことで電話がかかってくるのですが、
内容が、相談なのか、なんなのか。
さんざん喋って、最後には、「いいわ、大丈夫だわ、ありがとうまたねー!」みたいな終わり方をするんですよ。
で、それを聞いている私はというと。
なんだか、無性に、ムカつく…!!!!
そういう経験ありませんか?
なんというか、勝手に庭にゴミを捨ててかれた気持ち。
それで「この気持ちは何だろうな?」と客観的に思った時、
「私は泣き言なんて言わせてもらえなかったのに、お母さんは言うんだ」
という言葉がよぎったのです。
「お母さんだけグズグズ泣き言言ってズルい!!!!」って、インナーチャイルドが言ってたんですよね。
【聞いてもらってわかった、私の気持ち】
そうかぁ…と思いつつ、これをSNSに投稿したら、不思議なことが起きました。
まるで自分のことのように、悲しむ人が続出したのです。
「同じようなことが昔あった」
「この投稿が上がるたびに、通算4回泣いた」
そんなコメントが多くついたのは、みなさんの心の琴線のどこかにふれたからでしょうか。
思った以上に、同じ思いをしていた人が多いということですよね。
私はこの様子を眺めて、初めて、
「ああ、泣き言が言えないってことは、悲しいことだったんだ」
「私は、悲しみのあまりムカついたんだ」
と認識しました。
この悲しみを感じるのを邪魔していたのは、
「泣き言を言ったら、お母さんに迷惑かけちゃう」っていう強い思考でした。
さらにそれが拡大して、
「泣き言=悪いもの」
という式までできあがっていましたから。
何か言おうとするだけで、涙目になってたなぁ…。
【泣き言を言ってみたら】
この少し後に、信頼できる友人たちに会う機会があり、この話をしてみたところ、
「そんなのグチり返す勢いでいいんだよ、しんどいことはしんどいって言おうよ」
って言ってもらえたんです。
グズグズする私を肯定してくれて、
「嫌なことはイヤって言えばいいのだ」と背中を押してくれた。
すごく嬉しかったなぁ。
これで、すっかり、私の中で
「愚痴は言ってもいい」と、定義が書き換わりました。
泣き言を言いたいときもある、というのも、また、私なので。
「言いたいことはわかるけど、そんな話ができる相手なんかいないよ」
っていう方は、新春企画のショートセッションにお越しください。
どうぞ、安心してグズグズ言っていって下さいね。
カウンセリングの最初って、みんな、愚痴から始まるんですよ。
少しでもスッキリして、2025年を軽やかにスタートしましょう♪
詳しくはInstagramから!
國枝 弓
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