こんにちは。kauhola☆peco國枝です。
今日が修了式のところが多いのかな。
いよいよ春休み突入ですね。
年度の切り替わりは、人間関係も変わっていくポイントになりますね。
初めましてさんとは、会話も探り探りになるもの。
そんな中、Twitterでこんなことを目にしました。
今日は大好きな友達と遊んでいるというのに、私の放つちょっとした言葉にキレる娘…😭む、難しい。そして気づかされる…。みなさんは普段、誰かといる時に自分の子どもの良いところを話しますか???#悪口ばかり言うってさ
— 佐野 美樹 骨盤美人体操インストラクター (@sanomikinco) March 20, 2019
「ああ、よくあるなぁ、これ」と思ったので、書いてみます。
例えば、子供同士が遊んでいて、それをママたちが見守っている、って光景、よくあると思うんです。
そのとき、「○○ちゃん(←あなたのお子様)は足も速くていいね」と言われたとします。
このとき、
「いやいやうちの子なんて大したことないですから」
って、言ってませんか?
「謙遜」に我が子を使うなかれ
日本には、「謙遜」って文化がありますね。
辞書で調べたらこういう意味でした。
自分の能力・価値などを低く評価すること。控えめに振る舞うこと。 「 -した言い方」 〔類義の語に「卑下」があるが、「卑下」は自分自身を低くし卑しめる意を表す。それに対して「謙遜」は自分の能力や功績などをおごらず、控えめに振る舞う意を表す〕
謙遜で低くしていいのは、自分のことだけです。
我が子を低くして、自分が謙遜した気になっていませんか。
それ…悲しくないですか?
かつて、私も傷ついていました
実は私の母も、かつて悪気なくこれをやる人でした。
「うちの子なんて…」というセリフを何度聞いたことか。
「勉強はできるけど手伝いは全然しないの」などと、すり替えられたことも、何度も。
その度に、
まだ全然できてないんだ
もっと頑張らなくちゃ
もっとできないと褒めてもらえない、いる価値がない
と思っていました。
当時は必死で気づかなかったけど、心は深い悲しみを抱えていました。
(弟は無条件で溺愛されていましたからね…)
社交辞令で、何気なく発したことかも知れません。
が、「そんなことで?」と思うようなことで、子供の心は傷つくことがあります。
そして、言ったあなたも、かつて傷ついていたかも知れないのです。
褒められたなら、受け取っちゃおう
私は、この場合は、「ありがとうございます」と言うようにしています。
社交辞令であろうと、褒めてもらったことに変わりないですから。
聞いた相手がどう思うかは、もう私の領域ではないですからね。
もし「あぁ、私にも小さいころ、そんなことあったなぁ」と思われたら。
是非、笑み育ワークシート、使ってみて下さい。
思わぬ癒しが起こるかも知れません。
國枝 弓
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