こんにちは、ぺこりんです。
久しぶりに映画を見に行って、さらに久しぶりに何度も号泣したので、記録としてワシワシ書きました。
プロジェクト・ヘイル・メアリー。
原作は何人かに勧められ、「分厚い…」と怯んでいたところに、映画化。
やっと見に行ける時間が取れた。
もうべっしょべしょに泣いた。ハンカチしわしわ。
映画館で観てよかった。
で、ふと考えた。
予定通り、3人が生存してタウ・セチに着いて、ロッキーの船と邂逅していたら、こんな展開になっただろうか?
さらには、本来の予定どおり、グレース博士が乗っていなかったら。
私は、ここまでのバディにはならなかったろうなと考える。
これは、グレース博士とロッキーだから起こった展開。
二人が、それぞれ、一人きりだと告げるシーン。
(まず泣いた)
あれが、二人の距離を一気に縮めた気がする。
目が覚めたら他のクルーが死んでいたグレース。
放射線でクルーを失っていったロッキー。
二人とも、孤独による寂しさを極限まで抱え、それでも、故郷の星を救う使命ゆえ、その寂しさにのまれるわけにはいかなかった。
そんなところに、このエンカウント。
意思疎通ができる知的生命体。
そして目的も同じ。
たった一人だと思っていたところに現れた、「他者とのコミュニケーション」という福音。
これでバディにならんわけないだろうが。
見た目とか意思疎通の仕組みの違いなんて、障害にならない。そんなもん気合と知識で飛び越える。実際飛び越えてる。
この、我々からしたら、「異常すぎる」シチュエーションが、二人の結びつきをとてつもなく強くした。
他者と対話できるって、大切で、しあわせなことなんだな。
その結びつきの強さは、それこそ、相手の危機に、自らの命を投げ出せるほど。
ロッキーが、自分の生命維持のためのボールを突き破ってでも、グレースを助けようとしたことにも納得がいく。
(ここもめちゃくちゃ泣いた)
だって、今、世界に、二人しかいないんだよ?
逆に、グレースが地球への帰還ではなく、ロッキーを助けに行ったのには、もうひとつ理由があるなと思った。
もちろん、かけがえのないバディを助けたかったのもあるだろうが…グレースは、正直、地球に帰還することには、かなり消極的だったのではないか。
地球にいた頃のグレースは、今回のキーになる仮設論文のせいで学術界を追われている。中学の教師は楽しんでやってそうだったが、「居場所のなさ」は痛感していただろう。
だから、最後の展開は、普通に見たら驚くものだろうが、彼の背景を思うと、あれだけ強烈な経験を共にしたバディを選ぶのは道理だなと感じた。
きっとエリディアンからしたら(もちろん地球でも)彼らは英雄だから、あれだけの環境が用意されるのも頷ける。
願わくば、二人が、末永く穏やかに過ごせますように。
余談。
ロッキーはクルーの中では若手だったんじゃないかな。なんかお茶目でムードメーカーっぽい。
私は運よく予告編を見ないで臨んだので、最初は本当にびっくりしたけどね。岩じゃんよと。
なのにあっという間にキュートさに参ってしまう、この。

見終わったその足で原作文庫本を買いました。
モール内シネコン万歳。
訳が良くてするする読めるし、映画には書かれなかったところも読み応え満点。
読み切ったらまた印象変わるかな。
國枝 弓
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